大阪の海岸といえば港や人工島のイメージで、とても砂浜などなさそうですが、こちらの写真をご覧ください。
なんと、砂浜っぽい場所があります‼️
…というと言いすぎでしょうか😅笑
ここは神崎川の河口付近で、大阪湾まであと少しの場所です。なので、海岸というには違うかもしれません。 しかしほぼ大阪の海岸といえる場所にあって、こんな砂浜っぽい場所があるなんて驚きですね。 淀川と神崎川の河口に挟まれた矢倉緑地のすぐ近くにあります。
興味を持ってさらにネットで調べると、ここは阪神淡路大震災を今に伝える遺構ともいえる場所であることがわかりました😳
今回はこの砂浜?を目指して出かけました。場所はこちらです。
2021/1/9 地図をもう少しわかりやすく書き直しました
阪神なんば線 伝法駅
今日は阪神なんば線 伝法駅から旅をスタートします。 矢倉緑地公園の最寄り駅はお隣の福駅ですが、寄り道をするのでここから矢倉緑地を目指します。 伝法駅の近くにもいろいろな見所があります。
澪標住吉神社
伝法駅から歩いて3分ほどで、澪標住吉神社という神社⛩に着きます。
澪標(みおつくし)という名前でピンと来た方もいるかもしれません。 澪標とは、こちらです。
この形、大阪になじみの方ならよく見かける、大阪市の市章になっているものですね。 航路🚢を示すために建てられた標識です。 大阪市のページの解説を引用します。
みおつくし(澪標)というのは、古歌にもよまれているように、昔、 難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識です。 摂津名所図会にはクイの上部に板をX型に打ちつけたものだけが見られますが、 天保年間の絵図には今の市章と同じ形をしたものが描かれています。 大阪の繁栄は昔から水運と出船入船に負うところが多く、人々に親しまれ、 港にもゆかりの深いみおつくしが、明治27年4月、大阪市の市章となりました。
この神社の由緒について、此花区のページには、次のように書かれています。
社伝によれば、延暦23年(804年)遣唐使の航路安全を祈願して祭壇を造り、一行の帰路を迎えるため澪標を立てたのがはじまりという。
この社伝が正しければ、1000年以上の歴史を持つ神社ということになりますね。
鴻池組 旧本店
鴻池組というと、大阪発祥の歴史ある中堅ゼネコン🏗ですが、その旧本店の建物が澪標住吉神社のすぐそばにあります。 鴻池組の研究開発の試験設備がある試験センターが隣接しています。
手前の洋館が鴻池組旧本店、奥の和風の建物が旧本宅です。1910年に建てられた建物とのことです。 説明板によると、洋館の方はアールヌーヴォー様式を取り入れた建物で、ステンドグラスも使われているとか。 オシャレな建物ですね☺️
国道43号線 伝法大橋
来た道を戻り、途中スーパーのライフで飲み物🧃やパン🥐を買って、いざ淀川を越えて矢倉緑地を目指します。
国道43号線 伝法大橋です。歩いて淀川を越えられます。左側は自動車専用道路のほうの国道43号線、新伝法大橋です。 新伝法大橋は自動車専用道路のため、歩道はありません🙅♂️
新伝法大橋が視界を遮るので、下流の方の景色は望めませんが、上流の景色を眺められます。
電線で見にくいですが、梅田スカイビルなど梅田の高層ビル群が見えますね。 手前の線路は阪神なんば線です。線路との間に遮るものがなく映えるのか、撮り鉄の方がカメラを構えていました。
淀川を渡りきったところで、隣接する高架の国道43号線をくぐり抜けるのですが…。
なんと通路が1mくらいの高さしかなく、しゃがんで通り抜けなければいけません😳 顔の高さくらいにある頭上注意の貼り紙がちょっと面白かったので、写真を撮ってしまいました😆
淀川
淀川の右岸を海に向かって歩きます。
対岸を見ると、あべのハルカス、京セラドーム、弁天町の大阪ベイタワーなどが見えます。 ここから先、淀川の堤防の上をひたすら歩きます。
振り返って撮っていますが、こんな感じの道です。 堤防の内側は、しばらく住宅街🏠が続きますが、しばらくすると工場地帯🏭になります。
このあたりから、車が入れなくなり、歩行者やバイクのみ通行可能な道に変わります。
途中、福漁港(福の舟溜まり)が見えます。大阪市内に残る漁港の1つです。これは堤防の内側にあります。 淀川とは、水門を通じて行き来します。
こちらが西島水門です。右側が堤防の内側、左側が淀川です。
淀川の河口まで、まだまだ歩きます。
しかし、今日は雲一つ無い快晴☀️。帽子も日焼け止めもなくノーガードで来てしまったことを後悔しながら歩きます。 堤防の上なので、日光を遮るものがありません。6月になったばかりですが、とても暑いです💧
とても暑いものだから、乾いた道路の上に、無いはずの水たまりまで見えてきました…😇もちろん、実際には水はありません。 逃げ水という現象で、蜃気楼の一種ですね。
矢倉緑地
そうこうしているうちに、ついに淀川の河口に到着です✨この辺り一帯が、矢倉緑地として整備されています。
この先が大阪湾です。きれいな岩で海岸線に遊歩道が整備されています。コンクリート護岸でなく、自然の岩を使って整備されています。
大阪市内でコンクリート護岸でない海岸はここだけだとか。とてもレアな場所ですね😆
向かいの高架橋は阪神高速5号湾岸線です。
振り返ると淀川。河口から見た大阪の町並みを楽しめます。
矢倉緑地には、立派なトイレもあって安心です。
あずまや(左)、野鳥観察所(右)の施設もあります。 矢倉緑地は車では来られない場所ですが、意外に人がいて賑わっていました。 釣り人、親子連れ、年配の団体、バイクで来た人、ジョギングの人、など。 思い思いに海岸の公園を楽しんでいました。
私もあずまやで、買っておいたパンと飲み物をいただき、ゆっくり休憩しました。 しかし、このあずまやは周囲を木に囲まれているので、海の眺望はそれほどよくありませんでした。
海岸沿いには、人工の干潟が作られています。干潟とは、潮の満ち引きなどで水に浸かったり干上がったりして、砂や泥が溜まってできた場所のことです。生き物の宝庫であることが多いです☺️
手前のくぼんで泥がたまっている部分が干潟です。 今は引き潮なので、ほとんど水が入っていません。満潮になるにつれて、水が入ってきます。 いろんな生き物が生息しています。
神崎川河口の左岸
矢倉緑地は淀川と神崎川に囲まれています。神崎川の方を見てみましょう。
神崎川側に出るには、矢倉緑地の柵を越えて外に出る必要があります。 この日は釣り人や生き物を探しに来た親子連れなど、何組かが柵の外に出ていました。 私も自己責任で十分に注意して、神崎川側に降り立ちます。
こちらは整備されていません。コンクリート護岸がありますが、見ての通り斜めに傾いて、内側に水が入ってきています。 満潮の際は、このコンクリート部分の内側も水につかってしまいます。
土砂が堆積して干潟になっています。地面の色を見る限り、満潮時はこの辺りも水につかるのでしょう。
調べると、阪神淡路大震災の時に、大幅な地盤沈下でコンクリート護岸が水につかってしまい、 陸だった部分に土砂が堆積して、自然に干潟ができてこうなったようです。
私は阪神淡路大震災の時は神戸に住んでおり、変わり果てた街を目の当たりにしたものです。 神戸ではメリケンパークに壊れた神戸港の岸壁が保存されていますが、大阪でもこのように震災の痕跡が今も残っていることは初めて知りました。
矢倉緑地の設計をした会社のページには、次のような記述があります。
水辺の鳥や湿性植物が観察できる葦原を有した神崎川沿いの干潟を保全し、 野鳥観察のためのハイドを設けた。
ということで、震災で自然にできたこの干潟はあえてそのまま残したんでしょうね。 この干潟に来る野鳥を安全に観察するために、先ほどの野鳥観察所が設けられていたようです。
足下に動くものが見え、フナムシ!?😱と思って身構えましたが、カニ🦀でした。 よく見るとカニがたくさんいました。まあ、フナムシもやっぱりいました。大量のフジツボも…。 干潟にできた潮だまりには、小魚🐟がたくさんいました。生き物の宝庫ですね。
さらによく眺めると、貝殻、藻のついた岩、クラゲの死骸、漂着したゴミ…😅まあ、海辺に来たんだなという感じですね。笑
ここで冒頭の写真の場所です。砂が堆積した場所があり、砂浜っぽくなっています。 穏やかな波が打ち寄せ、歩いた足跡も残ります。ここだけ切り取ると、文句のない砂浜🏖に見えますね。 ほんのごく一部だけですけどね。引き潮の時しか出現しないかも。
神崎川の対岸を眺めると、工場や物流施設が並んでいます。こちらはもちろんコンクリート護岸です。
このように、神崎川左岸の河口付近は整備されておらず、危険もあります。 潮の満ち引きで水位も変わります。自己責任で十分注意して歩きましょう。
帰り道 大野川緑陰道路
帰り道は福駅まで大野川緑陰道路を歩いて帰りました。 こちらは歩行者専用道路と自動車専用道路がそれぞれある遊歩道で、いろんな木が植えられており木陰の散歩が楽しめます。 福駅から矢倉緑地に向かうときは、この道を使うのが一番便利です。
淀川の終点まで歩くことができ、海や川の眺望を楽しみ、干潟のいろいろな生き物も見られて楽しい旅になりました☺️