みかんの楽しい日記帳

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暗越奈良街道 大阪~奈良を歩く その1 (大阪・北浜~今里)

もう1ヵ月前になりますが、2018年11月10日に暗越奈良街道という江戸時代の街道を大阪~奈良まで歩いてきました。だいたい34kmくらいあるそうです。

大阪~奈良を結ぶ街道はいくつかあったようですが、暗越奈良街道はその中でも最短距離で結ぶ街道です。ただし、生駒山の暗峠を越えるルートで勾配がきつく、大名行列などは他の街道を通っていたそうですが、多くの人や物資が往来したにぎわいのある街道だったようです。松尾芭蕉もこの街道を通って大阪入りし、道中で読んだ句が石碑で残っていたりと、歴史を感じられる街道でもあります。

その後の区画整理で失われた区間も多いですが、多くが国道308号線として残っています。国道308号線は、「酷道」としても有名で、行き違いのできない急勾配の隘路や、石畳の道路などで有名です。実はだいぶ昔に友人が車で国道308号線を走破するのに乗せてもらったことがあるのですが…急勾配と隘路だけが印象に残り、次はゆっくり歩いて来ようと思ったのでした😅今回は秋の散策がてら、その街道をたどってみました。

大阪府が暗越奈良街道のガイドマップを配布しています。なんと無料!✨

大阪府/歴史街道ウォーキングマップ

失われた区間も多いですが、できるだけ当時の街道に忠実にルートを選定されているようです。今回はこのガイドマップを頼りに、当時の街道を歩いてきました。

長いので記事を5分割していますが、1日で通しで歩いてきました!!

9:28 高麗橋 里程元標跡 スタート

大阪メトロ堺筋線・京阪電鉄 北浜駅から東に少し歩いたところに、高麗橋という橋があります。その橋のたもとに里程元標跡があります。

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これは、明治時代に様々な街道の起点として定めたものです(江戸時代は、暗越奈良街道の起点は玉造でした)。時代は変わり、現在の大阪の道路元標は梅田新道交差点にあります。国道1号線と2号線が切り替わる場所ですね。 今回の旅は、ここ高麗橋からスタートです。

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東に向かい、松屋町筋を越えて、途中で南に向きを変えます(なんという筋かはわかりませんでした)。所々に、このような「歴史の散歩道」の案内板もあります。これは大阪市が設置した案内板です。

www.city.osaka.lg.jp

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雰囲気の良い通りをどんどん南下します。途中、中央大通を越えます。

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熊野街道の石碑も建っていました。ここは様々な街道の一部であったことがわかります。

10:01 長堀通の手前 2.3km

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30分も歩くと、長堀通の手前まで来ました。写真で階段を下りた大きな道が長堀通です…が、ガイドブックでは長堀通ではなく、

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その1本北の、この道を東へ進むことになっています。おそらくこちらが、昔の街道だった通りなのでしょう。もちろん往時の面影はありませんが、ビル街の中に昔のたたずまいを見せる一軒家が残っていたりするので、歩いていて楽しいです。 谷町筋を越え、大阪女学院を横目に通り過ぎ、いったん長堀通に出ます。ちなみに、長堀通は御堂筋から東が国道308号線に指定されています。

10:21 玉造 4.1km

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そうこうしていると、玉造筋 玉造交差点がやってきます。JR大阪環状線/大阪メトロ長堀鶴見緑地線 玉造駅もすぐそこです。ちなみに、距離は愛用しているFitBitの表示を表しており、写真を撮るために寄り道をしたりしているので、地図上の距離とは異なります。

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環状線の高架を越えると、二軒茶屋跡があります。ここは江戸時代の暗越奈良街道の起点であり、当時「つるや」と「ますや」という2件の茶屋が営業していたとのこと。旅人が休憩したり、見送りの人と別れたりする場所だったようです。

www.city.osaka.lg.jp

ここを越えて少し歩くと、暗越奈良街道の石碑が現れます。

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左が長堀通で、右の住宅街の路地が、往時の暗越奈良街道に当たる道のようです。おそらくここは区画整理でも往時の道が生き残ったのでしょうね。長堀通から分かれて、路地を進みます。

10:35 平野川 5.0km

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そうこうしていると、平野川を渡る玉津橋という橋に差し掛かります。といって、何の変哲もない橋に見えるこの橋ですが、ここには江戸時代(1806年)の地図?が掲げられています。

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これを見ると、川の様子が今とだいぶ違い、また玉津橋が大阪と暗峠を結ぶ重要な橋であったように見えます。かなりデフォルメされて描かれているので、実際のところはわかりませんが…おそらく、交通の要衝であったのでしょう。

10:41 今里 5.6km

玉津橋を越えてしばらく歩くと、大阪メトロ千日前線/今里筋線 今里駅に到着します。

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ここには、暗越奈良街道の最初のハイライトの1つ、暗越奈良街道の案内板群があります。高麗橋・玉造 / 高井田・菱江 / 暗峠 / 追分・尼ヶ辻 / 三条通・春日大宮と、5枚に分けて街道沿いの地域の解説が書いてあります。

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中でも、暗峠(椋嶺峠?)の解説板には、なんと堺屋太一氏が解説を寄せています。以下の大阪市のページで全文が読めます。

www.city.osaka.lg.jp

これから歩いて向かう自分にとっても、走破するのがとても楽しみになってきます😎

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付近には、「ようこそ シルクロードへ! 暗峠まで 三里 終点 奈良 八里」という看板もあり、奈良まで歩くのが楽しみになります。 1里は約4kmなので、終点まで32kmくらいですね。

まあ江戸時代ならともかく、今時大阪から奈良まで歩いて行く奇特な人は、私のようなもの好きくらいでしょうけどね😉

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