みかんの楽しい日記帳

日常の楽しい出来事や旅の記録を書き留めていきます

西国街道 京都~神戸を歩く 2日目 その2 箕面・池田・伊丹・尼崎

前回の記事でJR高槻駅からみのおキューズモールの少し東、勝尾寺大鳥居まで歩きました。

diary.mikan-tech.net

昼🍽を食べてゆっくり休憩し、西へ向かって歩きを再開します。

f:id:kimura_khs:20201219165955j:plain
©みかんの楽しい日記帳 | © OpenStreetMap contributors

13:23 柳谷観音の碑 14.7km

箕面墓地公園の横を通ってどんどん進みます。

f:id:kimura_khs:20201206183100j:plain

国道171号線 今宮交差点の近くに出ました。ここには、柳谷観音の碑があります。柳谷観音 楊谷寺は長岡京市の山奥にあります。遠く離れた箕面の地でも信仰を集めていたことがわかります。

この付近は西国街道と国道171号線がすぐ横を併走しているのですが、西宿2丁目交差点の辺りで西国街道が国道171号線に取り込まれます。

f:id:kimura_khs:20201206183105j:plain

大型ショッピングモールのみのおキューズモールが近くにあります。

ここからは国道171号線を歩きます。

13:39 新御堂筋との交差点 16.1km

f:id:kimura_khs:20201206183110j:plain

国道171号線は交通量の多い幹線道路で、道沿いに郊外型の大型店舗がたくさん集積しています。

ほどなく、梅田付近から北摂へ伸びる大動脈、国道423号線 新御堂筋との交差点があります。萱野交差点というところです。

f:id:kimura_khs:20201206183115j:plain

こちらの写真は新御堂筋を南向きに撮りました。千里中央、江坂、新大阪を抜けて梅田の国道1号線まで出られる、大阪屈指の交通量の幹線道路です。

ここを越えて萱野4丁目交差点から国道171号線に別れを告げ、再び並行する西国街道の路地を進みます。

f:id:kimura_khs:20201206183120j:plain

幹線道路から、街道らしい雰囲気の道に戻りました☺️

13:49 萱野三平旧邸

f:id:kimura_khs:20201206183132j:plain

道を進むと、討ち入りで有名な赤穂浪士の萱野三平旧邸があります。萱野三平も討ち入りに加わる予定が、父親との板挟みになってしまい、討ち入り前この場所で自害したということです😳

ja.wikipedia.org

萱野三平の墓も近くにあります。

f:id:kimura_khs:20201219170029j:plain
©みかんの楽しい日記帳 | © OpenStreetMap contributors

14:06 国道171号線との分岐 18.5km

この先、国道171号線 牧落交差点の近くで西国街道が再び国道171号線に取り込まれます。

f:id:kimura_khs:20201206183138j:plain

これまで国道171号線の南側を並走していましたが、今度は国道171号線の北側に西国街道が現れます。

上の写真は西を向いて撮っていますが、左の大きな道が国道171号線、右の路地が西国街道です。

14:10 牧落の高札場 18.8km

f:id:kimura_khs:20201206183144j:plain

ここには牧落の高札場がありました。高札場というのは、幕府や領主から出されたお触れが掲示される場所のことです。

この牧落の高札場は、西国街道と、大阪~箕面を結ぶ道とが交差する場所だったとのことで、交通の多い場所に高札場が設けられたのでしょうね。

今は普通の住宅街の小さな交差点ですが、往時は行き交う人も多かったんでしょうね。

f:id:kimura_khs:20201206183149j:plain

交差点だけあって、昔の道標が残っています。大きい方は年代が刻まれていない(たぶん)のでよくわかりませんが、絵文字みたいな指👉が描かれているのが面白いですね。小さい方は1720年に建てられたものだとか。

f:id:kimura_khs:20201206183158j:plain

近くには、牧落八幡宮の鳥居⛩もあります。

14:16 阪急箕面線の踏切を渡る 19.2km

f:id:kimura_khs:20201206183203j:plain

石橋阪大前~箕面駅を結ぶ阪急箕面線の線路を渡ります。桜井駅と牧落駅の間にあたります。

14:25 阪急箕面線 桜井駅 19.8km

f:id:kimura_khs:20201206183208j:plain

阪急箕面線 桜井駅が見えました。阪急箕面線のこの区間は、西国街道に並行して走っています。

14:33 瀬川・半町立会駅所と本陣跡

f:id:kimura_khs:20201206183213j:plain

箕面自動車教習所の門まで歩くと、瀬川・半町立会駅所本陣跡の案内板があります。

この付近は瀬川宿という宿場町で、本陣(大名が宿泊する格式の高い施設)があったようですが、残念ながら現存しないみたいです。

この先まっすぐ進むと箕面川が流れています。西国街道は箕面川の手前で南へ折れ、阪急箕面線の踏切を再び渡ります。

14:50 石橋阪大下交差点 22.0km

踏切を越えた辺りで国道171号線と合流し、また分かれて路地へ入ったりしながら南へ進んでいきます。

実はこの辺りは箕面市、池田市、豊中市の3つの市の境界付近で、少し歩くだけで市がコロコロ変わるのですが、西国街道は池田市の方へ抜けていきます。

f:id:kimura_khs:20201206183224j:plain

進んでいくと、このような交差点に出ました。 ここは国道171号線と国道176号線が交わる石橋阪大下交差点です。

国道2本に加え、旧西国街道、大阪大学への通学路も交わるので、七叉路くらいになるでしょうか😆

西国街道はこの交差点を斜めに突き抜けるような形で通っています。

交差点を越えて西国街道を進むと、西国街道沿いに建つお屋敷をリノベーションしたお寿司屋さん🍣がんこ池田石橋苑があります。枯山水庭園もある立派なお屋敷でお寿司が食べられるようです。

oniwa.garden

その向かいに、西国街道の案内板がありました。

f:id:kimura_khs:20201206183231j:plain

デフォルメされた地図が少し分かりにくいですが、 それより箕面川に特別天然記念物のオオサンショウウオが流れてくるという情報にびっくりです😳

調べると箕面川はオオサンショウウオの生息地らしいです。

14:45 西国街道と能勢街道の交差点

f:id:kimura_khs:20201206183236j:plain

阪急宝塚線の線路沿いに西国街道の道標がありました。ここは石橋阪大前駅から400mほど南の踏切脇の場所です。

この場所は西国街道と能勢街道の交差点に当たる場所で、旧石橋村の高札場があったそうです。説明板も建っています。

阪急宝塚線の踏切を越えてどんどん進みましょう。

15:02 亀ノ森住吉神社 23.0km

f:id:kimura_khs:20201206183251j:plain

西国街道沿いに亀ノ森住吉神社という神社がありました。海上交通の守り神、住吉大神を祀る神社で、社伝では770年の創建とされているとか。

境内は緑豊かで広々として、摂社もいろいろあって素敵な空間でした。

f:id:kimura_khs:20201206183246j:plain

こちらが拝殿です。今日の旅の安全をお祈りしておきました😌

f:id:kimura_khs:20201219170002j:plain
©みかんの楽しい日記帳 | © OpenStreetMap contributors

15:13 十二神社 23.7km

f:id:kimura_khs:20201206183301j:plain

さらに西国街道を西へ進むと、十二神社という神社がありました。12の神様を祀っているのでそう呼ばれているそうです。

f:id:kimura_khs:20201206183306j:plain

こちらが拝殿です。旅の安全をお祈りしておきました。

木々に囲まれた落ち着く空間になっています。駒の森という鎮守の森だそうです。

shochan152.cocolog-nifty.com

こちらのブログによると、西国街道を行く大名行列がここで馬を休めたことから駒の森と呼ばれるようになったとのこと。

f:id:kimura_khs:20201206183256j:plain

十二神社の目の前には国道176号線と中国自動車道が走っています。地下道を通って国道176号線をくぐります。

f:id:kimura_khs:20201206183311j:plain

中国自動車道の真下で写真を撮りました。巨大構造物はいつ見ても圧倒されますね😳

15:22 弁慶の泉

f:id:kimura_khs:20201206183321j:plain

中国自動車道を越えて街道らしい道を進みますが、ちょっと寄り道をします。

西国街道から北へ100mほどの場所、国道171号線沿いに弁慶の泉というものがあります。

源義経が源頼朝に追われて西国街道で尼崎へ逃れる途中、弁慶がこの泉でのどを潤したと言い伝えられています。

f:id:kimura_khs:20201206183316j:plain

今は公園のように泉がきれいに整備されています。

15:29 国道171号線に合流 24.9km

f:id:kimura_khs:20201206183326j:plain

国道171号線 新開橋交差点で、国道171号線に合流します。高架になっているのは大阪府道2号 大阪中央環状線です。

ちょうどこの付近が大阪府と兵庫県の境目になっており、大阪中央環状線はここで終わり、国道171号線になります。

ここから先は、兵庫県伊丹市に突入です!

f:id:kimura_khs:20201206183331j:plain

付近には西国街道が栄えていた頃から残る浄源寺という古いお寺があるほか、昔ながらの民家が数軒残っています。伊丹市都市景観形成建築物に指定されています。とても立派で素敵な建物を残されているのはすごいですね。

15:36 猪名川を渡る 25.8km

f:id:kimura_khs:20201206183338j:plain

国道171号線の軍行橋という橋で猪名川を渡ります。川西市、池田市など兵庫県と大阪府の境目付近をを流れる大きな川です。

この橋は伊丹空港がすぐ近くにあり、離着陸する飛行機✈️がよく見えます。

f:id:kimura_khs:20201206183349j:plain

広々とした河川敷です。うっかり北側を歩いてしまいましたが、南側だと空港の様子が見られたかもしれません。

この軍行橋は1911年に陸軍の演習のために架けられた橋とのことで、その昔はこの橋より少し南側で川を渡っていたようです。

橋を渡った後少し南下して、昔の西国街道の道に復帰します。

f:id:kimura_khs:20201206183355j:plain

渡った後で対岸の伊丹空港の方を撮りました。ちょうど飛行機が離陸していきました。

15:50 JR宝塚線の踏切を渡る 26.6km

f:id:kimura_khs:20201206183401j:plain

街道感のある西国街道の路地を進んでいくと、JR宝塚線に出合います。

15:56 多田街道との交差点 27.1km

f:id:kimura_khs:20201206183407j:plain

JR宝塚線の踏切を越えて進むと、多田街道との交差点に出ます。

多田街道は川西市にある多田神社へ向かう街道で、昔はこの辺りの主要な交通路だったようです。石畳やベンチが整備されていて、素敵な雰囲気です☺️

このときは気づかなかったのですが、あとでネットで調べると、この写真の奥に辻の碑という昔からの古い碑があり、(京都の)東寺まで10里(約40km)と刻まれているそうです。

私のFitBitの距離計測だと、昨日は京都~高槻26.5km、今日は高槻~ここまでで27.1kmで、50kmを超えているのですが…。寄り道しているからなのか、FitBitの誤差が大きいのか…🤔

15:58 伊丹坂

f:id:kimura_khs:20201206183412j:plain

伊丹緑地というところに出ます。西国街道の比較的新しそうな碑が建っています。

ちょっと写真の撮り方が下手でわかりにくいですが、この右の道が西国街道で、上り坂になっています。猪名川と武庫川に挟まれた丘陵地、伊丹台地の端の段差部分になります。

ここは伊丹坂として1796年刊行の「摂津名所図会」にも記載されているそうです。

この付近には和泉式部の墓と伝えられる五輪塔の一部があります。和泉式部の墓と伝えられるものは全国にあるようなので実際は供養塔のようなものなのでしょうね。

16:09 大鹿交流センター 28.2km

f:id:kimura_khs:20201206183419j:plain

伊丹坂を上って伊丹台地の上を進んでいくと、コインパーキングに西国街道の標識が出ていました。

f:id:kimura_khs:20201206183426j:plain

そしてコインパーキングの隣には、大鹿交流センターという伊丹市の施設があります。新しそうですが昔風の外観の建物で素敵ですね☺️

古い道標もありますが、説明版によるとここは西国街道と有馬街道の交差点だったようです。

有馬街道というと神戸駅近くから六甲山系を越えて北へ向かう国道428号線を思い浮かべますが、この有馬街道はもっと昔、尼崎の方から有馬温泉へ向かう道のことを指しています。

また、このあたりは昔は大鹿村といい、今から400年以上前から酒造りをしていたそうです。

16:23 兵庫県伊丹庁舎 29.2km

街道を進むと、陸上自衛隊 千僧駐屯地が見えてきます。

f:id:kimura_khs:20201206183431j:plain

先を進むと、天神社という神社があります。

そうこうしているうちに、伊丹市の行政の中心地のようなエリアにやってきます。

f:id:kimura_khs:20201206183437j:plain

こちらは街道沿いに建つ兵庫県伊丹庁舎です。

f:id:kimura_khs:20201206183442j:plain

手前が伊丹警察署、奥の時計のある建物が伊丹市総合教育センター、写真には写っていませんが、その隣にあるのが伊丹市役所です。

f:id:kimura_khs:20201219170009j:plain
©みかんの楽しい日記帳 | © OpenStreetMap contributors

ここで西国街道を別れて北に行くと、有名な昆陽池(こやいけ)があります。

伊丹市出身の有名な女優有村架純さんも思い出の場所として挙げていらっしゃいましたが、とても素敵な場所です。あんなきれいな方が昆陽池公園の白鳥🦢を眺めていたら、それだけでポスターになりそうですね✨

昆陽池のほとりには伊丹市昆虫館もあります。私は昆陽池のほうに久しく行っていないので寄り道したいところですが、西国街道を歩くためまたの機会にします。

そして昆陽は昔の宿場町でもあり、本陣(大名が宿泊する格式の高い施設)もありました。

16:27 伊丹市立稲野小学校前 道標 29.5km

f:id:kimura_khs:20201206183449j:plain

伊丹市立稲野小学校の校門脇に、古い道標と何やら巨大な石碑があります。

blog.livedoor.jp

こちらのブログによると、古い道標はこの小学校前から少し西に進んだ場所で、西国街道と有馬道の交差点にあったものをここに移設したもののようです。

巨大な石碑の方は、和歌が刻まれています。

芦のやの 昆陽のわたりに 日は暮れぬ いづち行くらむ 駒にまかせて

平安時代中頃の歌人、能因法師が昆陽を詠んだ歌です。能因法師といえば、百人一首に収録されている「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」が有名ですね。

この先、昆陽宿の本陣があった場所がありますが、今は普通の家?になっているようです。 場所はこちらの地図に詳しく載っています。

16:37 西天神社前 30.3km

西国街道を進むと国道170号線に合流します。西天神社が近くにあります。合流地点には西国街道の道標と説明板もあります。それによると、西天神社と東天神社は昆陽村の氏神として親しまれている神社とのこと。

この先171号線を進みますが、100mほどでまた171号線から外れて南へ進みます。もともとの街道もこのあたりで南へ曲がっていたようです。

16:49 閼伽井の井戸 31.3km

f:id:kimura_khs:20201219171730j:plain

西国街道沿いに閼伽井の井戸というものがあります。井戸というのはこの池のことかな?🤔

かつては西国街道の旅人がここで水を飲み休憩できる場所だったそうで、今はベンチもある公園になっています。

itot.jp

16:53 国道171号線 昆陽里交差点 31.7km

昆陽里交差点というところで、再び国道171号線に合流します。ここから300mほど171号線を歩き、再び路地に出ます。

f:id:kimura_khs:20201206183455j:plain

昆陽里交差点から少し歩くと、尼崎市に突入します。

f:id:kimura_khs:20201206183500j:plain

西昆陽交差点で国道171号線から出て、写真右の道に入っていきます。すっかり暗くなってきました。

17:06 髭の渡し(右岸) 32.9km

f:id:kimura_khs:20201206183505j:plain

さらに400mほど進むと、武庫川の河川敷に出ます。ここには常夜灯とお堂が建っています。

f:id:kimura_khs:20201206183510j:plain

このお堂が建っている付近は髭の渡しという渡し船が出ていたそうです。昔はここから対岸に渡っていたんですね。

渡し船のそばに髭を生やした老人が営む茶屋があったことから髭の渡しと呼ばれるようになったそうです。 渡し船の名前になるなんて、そんなにインパクトのある人だったんでしょうか…😅

説明版によると明治に入っても、下流に甲武橋という橋がかけられて現国道171号線が開通するまで髭の渡しが続いていたそうです。

残念ながら現在は渡し船はないので、西国街道の旅人はさらに500mほど下流の甲武橋まで迂回しなくてはなりません。往復1km以上のロスです!!😱

f:id:kimura_khs:20201206183514j:plain

河川敷を下流に向かって進みます。

f:id:kimura_khs:20201206183519j:plain

もう完全に日が暮れてしまいました。六甲山系の稜線が見えます。六甲山系(後ろの高い山)の手前にある、お椀を逆さにしたような形の山が、西宮市のシンボルともいえる甲山(かぶとやま)です。

f:id:kimura_khs:20201206183523j:plain

途中、山陽新幹線の高架をくぐると、甲武橋が見えてきます。渡し船がないのでずいぶん遠回りになりました😥

まあ、世の中の進歩でレガシーなメソッドがサポートされなくなるのは当然のこと。がんばって進みましょう!

17:19 国道171号線 甲武橋 33.8km

f:id:kimura_khs:20201219171856j:plain

こちらが国道171号線 甲武橋です。最初にこの橋が架けられたのは1909年で、当時の甲東村(現西宮市)と武庫村(現尼崎市)を結ぶ橋として架けられたため、甲武橋と名付けられたそうです。

広々した交通量の多い橋です。武庫川が尼崎市と西宮市の境界になっているので、この橋でいよいよ西宮市に突入です。

f:id:kimura_khs:20201206183532j:plain

西国街道の続きを歩くため、こんどは上流側へ向かって歩きます。だいぶ暗くなっていますが、ジョギングや犬の散歩をする人たちがたくさんいてさみしい感じはしません。

17:31 髭の渡し(左岸) 34.8km

f:id:kimura_khs:20201206183537j:plain

1km以上回り道をしてしまいましたが、髭の渡しの対岸に着きました。西国街道はこの付近から西へ続いています。

しかし、もうすっかり暗くなったので今日の街道歩きはここまでにしました。次回は西宮市に入ったこの場所から再開です。

大阪へ帰るため、最寄りの駅を目指します。

f:id:kimura_khs:20201206183541j:plain

髭の渡しのすぐ近く、西国街道沿いに野球が強くて有名な報徳学園があります。

f:id:kimura_khs:20201206183545j:plain

住宅街の中を歩いて駅へ向かいます。

f:id:kimura_khs:20201206183551j:plain

阪急甲東園駅に着きました。明日は平日なので、あさって11月3日(火・祝)文化の日に続きを歩きます。

続きはこちら↓

diary.mikan-tech.net