前日で京都~高槻まで歩きました。いったん大阪の家へ帰り、今日は朝から新快速でJR高槻駅にやってきました。早速昨日の続きを歩きましょう!✊
9:05 JR高槻駅
JR高槻駅の北口です。昨日は晴天でしたが今日は曇り空☁️です。
JR高槻駅の北口前には、百貨店の高槻阪急や、ショッピングモールのアルプラザなどがあります。
駅前のロータリーからまっすぐ北へ200mほどの場所に西国街道が通っています。
上の写真で奥の方へ続く道が西国街道、右へ向かう道がJR高槻駅への道です。 ここは街中なので、区画整理で昔の街道がなくなり、広々とした大きな道路に生まれ変わっています。
上の写真をよく見ると、角に毘沙門天と書かれた石碑が立っています。これは高槻駅から北へ約10kmほどの山の中にある北山本山寺の石碑で、重要文化財の本尊、毘沙門天をアピールしています。説明版によると、これは1917年に高槻駅前に建てられたのを2011年に区画整理のためここに移設したそうです。
ここから西国街道歩きを再開します。
9:35 芥川一里塚 0.9km
西国街道を進んでいくと、ちょうど芥川商店街のアーケードの端の場所に出ます。 この付近は昔の宿場町で、芥川宿というところです。
ここには、芥川仇討ちの辻というものがあります。説明板によると、江戸時代初期の頃、親を殺された少年が敵討ちのため、2年半も修行をしつつ犯人を捜し、14歳の時ここ芥川宿で犯人を見つけて対峙し討ち取った、という場所のようです😳
そういう昔の話も語り継がれているのはすごいですね。
そしてその先にあるのが、芥川一里塚です。一里塚は街道脇に一里(約4km)ごとに塚を築いて大樹を植えて距離の目印にしたものだそうです。旧山崎通(山崎~西宮)で唯一現存する一里塚だとか。昔の街道を今に伝える貴重な遺構ですね☺️
写真の正面の祠は三宝大荒神という仏教の三宝(仏・法・僧)を守る守護神を祀ったもので、古くから付近で祀られていたものを大正時代にここ一里塚に移転したものだとか。2018年に大規模修繕が行われたそうで、美しく保存されています。
先に進むと、町屋建築の喫茶店☕️がありました。リザルブ珈琲店というお店です。
今回はお邪魔しませんでしたが、写真を見ると中はモダンで広々していそうで、素敵な雰囲気ですね。 格子窓も素敵で、街道の雰囲気が味わえます。
9:44 芥川宿水門跡 1.5km
芥川という川の手前には、芥川宿の西端にあたる芥川宿水門跡があります。写真の石柱に四角い溝が掘ってありますが、大雨の時はここに板をはめて浸水を防いでいました。
この周囲には、様々な遺跡が残されています。
愛宕山灯籠と子安地蔵です。
金毘羅灯籠です。全国各地から香川の金刀比羅宮を目指す旅人のために建立されたもので、ここから香川の金刀比羅宮まで63里半(約254km)を示しているそうです。まだまだ先は長い…!😅
右側の石柱が、芥川のずっと上流にある、毘沙門天を祀る神峯山寺への道標です。商売繁盛や勝負事に御利益があるとされ、江戸時代には大阪の商人がたくさん参拝に訪れたとか。
左側の祠は橋詰地蔵尊で、芥川宿の西口を守っています。
9:44 芥川を渡る 1.5km
芥川にかかる芥川橋を渡ります。上流の方を向いて撮りました。出発時は雲が多かったですが、すっかり晴れてきました。
9:58 妙見道道標
しばらく住宅街の中を、街道らしい狭い路地を進んでいきます。途中で妙見道道標がありました。ここは西国街道から能勢妙見山へ向かう道の分岐だったようです。
10:02 女瀬川を越える 3.0km
女瀬川(如是川とも書く)という川を越えます。 この先、看板などは出ていませんが、高槻市を出て茨木市に入ります。
10:23 太田茶臼山古墳 4.6km
藍野大学のキャンパスを横に眺めつつ先を進むと、太田茶臼山古墳という古墳がありました。写真の看板は古墳に隣接する太田公民館にあります。
こちらが太田茶臼山古墳です。濠に囲まれた立派な古墳です。全長226mの前方後円墳で、継体天皇陵とされているものの時代が違う可能性が高く、1kmくらい西にある今城塚古墳が本当の継体天皇陵ではと言われているそうです。
10:26 雲見坂 5.6km
太田公民館のあるあたりで、西国街道に沿って巨大な建物が建設中でした。
何かと思えば、データセンターを建設しているようです。
このあたり、西国街道は西に向かって少し下り坂になっています。この坂は雲見坂といようです。
説明板も建っており、それによると、雲見坂の名称は平安時代末期の源平合戦の時代にこの辺りを支配していた太田頼基という武士が雲の動きを見て天気や戦の判断をしたことに由来するとのことです。
さらに、昔はこの坂の上に大きな石があり、紫式部がそこに座って勝尾寺山を眺めたともいわれているとか。
有名な紫式部も訪れていたとか、平安時代の頃からの由来があるとはびっくりですね😅
古そうな道標と新しい道標が並んでいます。
こちらは太田神社の参道です。太田神社は平安時代の延喜式神名帳にも掲載されている歴史ある神社です。今回はお参りせず西国街道を進みました。
建設中のデータセンターから先へ進むとまた平らな道になります。この辺りは歴史のありそうな民家が所々に残っていて、街道の雰囲気があります。
振り返って撮っていますが、このように、街道らしい幅の路地を歩いていきます。
11:01 安威川を渡る 6.4km
安威川という川を渡ります。下流川(南側)を向いて撮りました。
2021年春頃開業予定で建設中のイオンタウン茨木太田が見えます。このイオンタウン茨木太田のすぐ北側には、先ほど出てきた太田頼基が築城したと言われる太田城跡の碑があります。
ここで名神高速道路をくぐります。
11:08 阿為神社御旅所 7.2km
西へ進み、ディスカウントストアのジャパン茨木耳原店の横に阿為神社御旅所がありました。阿為神社はここから1.5kmほど北にあり、神輿がこの周囲の地区を回り、この御旅所で休憩をとります。
ここからしばらく西へ、街道感のある狭さの路地を進んでいきます。
この西国街道の北側には、耳原古墳および耳原遺跡があります。耳原遺跡は茨木市内で発見された中では最古の集落の遺跡で、2300~2500年前ごろのものとのこと。
11:16 茨木川を渡る 8.0km
幣久良橋という橋で茨木川を渡ります。
川を渡って少し行くと、西国街道から1本入ったところにアルプラザ茨木があります。少し早いお昼にしようかと思ましたが、先を急ぐことにしてスルーしました。
11:24 中河原 8.5km
中河原交差点という場所に着きました。ここには大きな道標が建っています。碑には、1897年建立、1982年に事故により破損し再建と刻まれています。壊れてもしっかり再建されるのは、とても大切にされているんですね。
それもそのはず、ここ中河原は西国街道と亀岡街道(大阪から京都府の亀岡まで続く道)が交差する交通の要衝だったのです。説明板も建っています。
今も私のような西国街道を旅する旅人が休憩できるよう、ベンチも整備されています。少しジュースを飲んで休憩しました。
この先も、このような街道感のある狭い路地を進んでいきます。しばらく進むと、国道171号線と新豊川橋という交差点で出合います。
この辺り、所々に古い道標や新設された道標が点在しています。
11:38 郡山宿本陣(椿の本陣) 9.6km
国道171号線を越えて少し進み路地に入ると、風情ある石畳の道になります。この辺りは昔の宿場町で、郡山宿といいます。
そして道沿いにある立派な建物が、郡山宿本陣(椿の本陣)です。
本陣とは、街道の宿場町に設けられた、参勤交代で大名が宿泊する格式の高い施設です。 今回旅する西国街道の京都~神戸区間では唯一現存する本陣の建物になります。とても貴重なものですね✨
現在の建物は1721年に再建されたもので、江戸時代の姿を今に残しており、国の史跡に指定されています。
こちらの左側の門が正門に当たる御成門です。大名が宿泊するときは、家紋入りの幕と提灯を下げていたとか。
こちらのリンクのページにあるパンフレットを見ると、奥にも広く、米蔵や厩(うまや)、茶室なども備えているようです。
現在も当主のご家族がお住まいになっているそうで、年に2回一般公開があるそうですが、現在はコロナの影響?で公開中止のようです。
今回は外観のみ、ゆっくり拝見させていただきました😌
11:44 宿河原西会場
宿河原西会場という表札のある建物の前に、道標がたくさん並んでいます。付近にあったものをここにまとめて移設したのかな?🤔 勝尾寺への道標などがあるようです。
椿の本陣の前は石畳でしたが、この辺りはカラー舗装された道路になっています。 真っ黒なアスファルトだと現代的ですが、自然の土っぽい色のカラー舗装にして、昔の西国街道感を出しているのでしょうね。
このあたりは宿場町だっただけあって、昔ながらの建物もよく残っており、歩いていて街道気分が味わえます😊
11:46 鍛治屋橋を渡る 10.2km
鍛治屋橋という橋で勝尾寺川を渡ります。橋には西国街道を行く旅人がかわいく描かれています。
この先もカラー舗装された道が続きます。途中、豊川1丁目児童遊園という小さな公園を曲がって森の方へ向かっていくと、春日神社という神社があります。
私は全然知らなかったのですが、こちらのブログによると、平安時代この辺りは藤原摂関家の荘園だった関係で、藤原氏の氏神の春日神社が多いそうです。
私は今回スルーしましたが、この森の中の春日神社は深い木立に囲まれた静かな神社のようで、素敵な雰囲気そうです☺️
11:51 山下橋を渡る 10.6km
振り返って撮っていますが、山下橋という橋で勝尾寺川を再度渡ります。
12:00 大阪モノレール彩都線 豊川駅 11.4km
ここで久々に駅が見えてきました。大阪モノレール彩都線 豊川駅です。 西国街道に交差するように駅があります。
カラー舗装区間はここまでになっています。豊川駅から椿の本陣を目指す人のために、この区間だけカラー舗装したのかもしれません。 風情があっていい道だと思いますので、ぜひ歩いてみてください。
12:15 春日神社御旅所・楠水龍王 12.5km
この辺りはなだらかに上り坂になっているようですが、急な坂ということはありません。進んでいくと、春日神社御旅所がありました。
ここは先ほど出てきた春日神社とは別で、この辺りを含む小野原地区にある春日神社(西に1kmほどの場所にある)の御旅所と思います。この辺りは藤原摂関家の荘園だった歴史があり、藤原氏の氏神の春日神を祀った神社が点在しています。
この御旅所は比較的新しく整備された雰囲気で、ベンチもあり休憩できます。
すぐ近くに、楠水龍王というお堂?もあります。楠木正成が桜井の別れで息子と別れ、死を覚悟して兵庫・湊川での決戦に向かう道中、ここの井戸で冷たい水を味わったという言い伝えがあるそうです。昔からそれにあやかって旅人がこの井戸で水を飲んでいたとのこと。
西国街道は昔の幹線道路だけあって、有名人のちょっとしたエピソードがあちこちに残っているのが面白いですね。
このお堂の中に井戸があるのかな?他に、道標や常夜灯もあるようです。手前の「左 京ふしみ」と書かれた道標は1802年建立だとか。
この付近は石畳になっており、趣があります。
この先もしばらく道の両脇が石畳になっています。街道感を高めるために整備したのかもしれません。 古くからの家も残っており、風情があって素敵ですね。
12:32 勝尾寺大鳥居 13.9km
古い町並みが所々に残る道を歩きます。
さらに進むと、勝尾寺大鳥居がありました。勝尾寺まではだいぶ離れていますが、ここまで鳥居があるのはすごいですね。最初にここに建てられたのはなんと1245年で、その後何度か再建されたりして現在もこの場所にあります。鳥居の横には、勝尾寺まで36町(丁)、すなわち約4kmを表す古い道標もあります。
そろそろいい時間ですし、国道171号線の近くまで出たので、ここで昼食にします。付近にある餃子の王将 箕面店におじゃましました。
昼食後もまだまだ続きます!