前回の記事に引き続き、西国街道を京都から神戸に向かって歩きます。前回で長岡京まで歩きました。
13:02 長岡京発見の碑
フレンドマートのパン屋さんでパンを買って腹ごしらえをして、いざ出発!✊
フレンドマートから西へ少し行って、長岡京駅前交差点の角に、長岡京発見の地の碑があります。
784年に平城京から長岡京に遷都されましたが、わずか10年後の794年に平安京に遷都されました。短期間であったこともあり詳しいことはわかっていませんでしたが、この地に一時住んでいた中村修一氏の尽力で、1955年に長岡京の遺構が発見され、発掘調査が大きく進展したそうです。それを記念してこの碑が建立されました。
長岡京の大極殿跡はここから少し離れた阪急西向日駅の北に位置し、長岡宮跡として国の史跡になっています。
西国街道へ戻って、先へ進みましょう!
13:09 神足ふれあい町屋 14.0km
長岡京駅前から少し進むと、神足ふれあい町屋という施設があります。これは、江戸時代末期に建てられた町屋である旧石田家住宅【登録有形文化財】を長岡京市が購入して、憩いの場として整備したものです。
公衆トイレやカフェもあり、ゆっくりできる施設になっているようです☺️
13:14 伝与市兵衛の墓
住宅街をしばらく歩くと、伝与市兵衛の墓というものがありました。与市兵衛とは忠臣蔵に出てくる人物の1人で、この辺りで山賊に殺されたそうです。
説明板によると、この墓は実際には、江戸時代に清誉浄佐という人が、両親の供養のため高野山のお坊さんを千人寄宿させたことを石碑に刻んだものだそうで、それがいつの間にか与市兵衛の墓と誤って伝えられてきたものだとか。
何百年も経つと、そういうこともありそうですね😅
13:20 中野家住宅 15.0km
2014年に街道沿いに移転してきた立命館中学校・高校を過ぎると、江戸時代末期の町屋、中村家住宅【登録有形文化財】があります。
ここは、夜だけ営業するおばんざいのお店になっているようです。記事をネットで見つけました。
13:24 調子八角 15.2km
住宅街の路地を進んでいくと、いきなり大通りの交差点に出てきます。頭上を京都縦貫自動車道の高架が走っています。
ここは調子八角という場所で、西国街道と丹波街道の分岐点に当たる場所です。丹波街道の方へ進むと、長岡天満宮、光明寺などを抜けて、丹波の方へ行くことができます。
阪急京都線 西山天王山駅が100mほど先にあります。2013年に開業した、比較的新しい駅です。
この交差点の脇に、調子馬ノ池公園という公園があります。
ここには大きな馬のモニュメントがありました。長岡京市の友好都市である、中国の寧波市から贈られたもののようです。寧波市は上海から杭州湾を挟んで南側にある沿岸部の大都市で、実は私も1度だけ出張で行ったことがあります😁長岡京市が友好都市というのは初めて知りました。
付近には、馬ノ池の水という碑と水道があります。ここ調子八角にはかつて湧き水が出る三角形の池があり、馬ノ池と呼ばれていたことから作られたようです。
他に、硲遺跡という遺跡の説明板があります。ここの上を走る京都縦貫自動車道の建設中に弥生時代の遺跡が見つかり、土器などが出土したそうです。
13:31 小泉橋 15.6km
長岡京市と大山崎町の間を流れる小泉川にかかる小泉橋という橋を渡ります。ここからは大山崎町に入ります。
この橋の辺りは片側1車線で歩道もある広い道になりますが、やがて街道っぽい狭い道にもどります。
途中、JR京都線の高架をくぐります。さらにその先で名神高速道路の高架をくぐります。
13:41 大山崎町役場
名神高速道をの高架を抜けると、すぐ横に大山崎町役場があります。西国街道沿いに建っているんですね。
この辺りには図書館、公民館など公共施設が建ち並んでいます。
ところで、地図を見ての通り、大山崎町のあたりは、桂川、宇治川、木津川の3つの川が合流し、淀川になる場所です。さらに川のすぐ横に天王山(270m)という山があります。
川と山に挟まれたこの場所は、昔は西国街道と水上交通が集まり、現在はJR京都線、阪急京都線、東海道新幹線、名神高速道路、国道171号線が集中する、まさに交通の要衝です。
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、猛スピードで引き返してきた豊臣秀吉が戦った場所もこの辺りです。山崎の戦い(天王山の戦い)とも言われます。ここで明智光秀を討った豊臣秀吉が天下を取ることにつながりました。
天王山付近で天下を取る合戦が行われたことや、天王山は交通の要衝を見下ろせる重要な拠点なのでここを占拠できることが勝敗を決するといわれたことから、運命の分かれ道のことを「天王山」と言うこともあります(豊臣秀吉が勝ったのは天王山を占拠したからと言うより、それ以外の要素が決定的に重要だったようなので、実際は異なるようです)。
13:50 大山崎町の東黒門跡
西国街道をさらに進むと、大山崎町の東黒門跡があります。説明板によると、
江戸時代後期までの大山崎は、西国街道(現在の府道六七号線)に沿って屋敷地が細長く続く集落でした。かつて大山崎の住民は集落の東西の先端に、東黒門、西黒門を設け、治安の維持をはかっていました。
とのことで、集落の東の端にあたる場所で、門が設けられていたようです。
写真の真ん中にある石柱は石勘当というもので、集落の出入り口などに置かれた魔除けの石版だそうです。主に沖縄や九州南部でみられるものだそうですが、近畿で設置されていたのは珍しいそうです。
13:54 山崎聖天 観音寺の鳥居
街道を進むと、山崎聖天 観音寺の鳥居があります。
14:03 阪急京都線 大山崎駅 17.9km
阪急京都線 大山崎駅のところで阪急京都線の高架をくぐります。 ここには、大山崎町歴史資料館もあります。
14:06 JR京都線 山崎駅 18.2km
阪急の大山崎駅から歩いて200mほどで、JRの山崎駅です。 駅前には妙喜庵というお寺があります。このお寺には、千利休が作ったことが確実な現存する唯一の茶室、待庵(たいあん)【国宝】があることで有名です。拝観には事前の申し込みが必要です。
14:07 離宮八幡宮
山崎駅の駅前には離宮八幡宮という神社もあります。こちらは石清水八幡宮の元社といわれている神社です。 写真は離宮八幡宮の拝殿【登録有形文化財】です。
境内には、本邦製油発祥地という碑があります。平安時代後期に荏胡麻油という油の製油法が発明され、油の販売で大いに栄えたことから、日本における製油発祥の地とされているそうです。
離宮八幡宮を出て少し歩くと、いよいよ大阪府に突入です!実は山崎駅はホーム上に大阪府と京都府の境界があります。 ここから先は島本町になります。
14:23 サントリー山崎蒸溜所 18.9km
山崎といえば、サントリーのウィスキー「山崎」が思い浮かぶ方も多いかもしれません。 山崎駅から300mほどで、サントリー 山崎蒸溜所があります。JR京都線沿いに建っているので、電車に乗っているとよく目立ちますね。
こちらは1923年にサントリー創業者の鳥井信治郎により開設されました。日本の国産ウィスキー製造の始まりと言える場所です。
14:30 水無瀬川を渡る 19.6km
島本町を横切る水無瀬川という川を渡ります。
住宅街の中をどんどん進んでいきます。島本駅に近くなってきたところで1か所、古い石標がありました。 何と書いてあるのかよくわかりませんでした😅
14:41 桜井駅跡 20.7km
JR島本駅前にある史跡、桜井駅跡に到着しました。駅と言っても鉄道の駅ではありません。奈良時代から都と各地を結ぶ道が整備され、ところどころに馬を配置した役所が設置されました。これを駅(うまや)といったそうです。中央と地方の情報伝達の役割などを担っていたようです。
桜井駅の往時の実態についてはよくわかっていないそうです。しかし、「太平記」には楠木正成が足利尊氏討伐のため西へ向かう途中、ここ桜井駅で息子を河内国に帰らせたと記載されています。その後、楠木正成は湊川の戦いで戦死しました。
忠臣たる楠木正成のこのエピソードは戦前の学校教育では定番の教材だったそうで、とても有名だったみたいです。そのため、ここ桜井駅跡にはこのエピソードをもとにした碑が明治~昭和頃にいくつも建てられています。
公園内には、楠公父子訣別之所碑という巨大な碑が建っています。 他にも、明治天皇が付近に行幸された際に読まれた御歌を刻んだ巨大石碑もあります。
子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと
この石碑もなかなか巨大で、高さは5mくらいあるんだろうか…🤔?とても立派です。
14:49 JR京都線 島本駅 21.2km
桜井駅跡を後にし、先へ進みましょう!桜井駅跡のすぐ横がJR京都線 島本駅です。
2008年に開業した比較的新しい駅です。また、駅前には島本町立歴史文化資料館【登録有形文化財】もあります。
桜井駅跡の記念館として1941年に建てられた麗天館という建物を、近年資料館として整備しなおしたものです。
お寺のような和風の建築で、質素ですが立派で美しい建物ですね!✨
15:03 JR京都線の高架をくぐる 22.0km
道沿いに団地が立ち並ぶ場所をしばらく歩くと、JR京都線の高架をくぐって線路の北側に出ます。進んでいくと、看板などはなかったと思いますが、島本町を抜けて高槻市に入ります。さらに歩くと、西国街道が線路に隣接して進むようになります。
223系普通(西明石~高槻間快速)電車が真横を通り過ぎていきました。歩いていると、時々電車が通過するのを眺められます。
15:27 畑山神社 23.5km
ところどころに昔ながらの民家が点在する道を進んでいくと、途中に畑山神社という神社があります。
社伝では1570年代の創建と伝わるとのこと。説明版によれば、この神社ができるもっと昔、7世紀後半ごろには、この場所に梶原寺というお寺があったと文献に記載されており、瓦なども出土しているそうです。奈良の正倉院には、756年に東大寺が梶原寺に瓦6000枚を発注した記録があるそうで、瓦焼き窯の遺構も残っています。
いろんなところに古代の歴史が眠っていますね😊
15:39 檜尾川を越える 24.5km
西国街道をどんどん先へ進みます。途中、檜尾川という川を越えます。のどかな道から、徐々に市街地へと変わっていきます。
しかし先ほどの畑山神社のあたりからそうですが、西へ向かうので西日☀️がきついです。油断して帽子を持ってきていなかったので、まぶしいのと暑いので一気に疲れが出てしまい、周りを見る余裕もなく足早に先へと進んでしまいました。
16:14 高槻阪急の交差点 26.5km
西日に焼かれながら☀️先へ先へ進んでいると、関西大学のキャンパス辺りから急激に道が広くなり、周りにタワーマンションや大型の施設などが登場しだします。高槻の中心部に近づいてきました。
そしてついにJR高槻駅前の阪急百貨店に到着です😆今日はここをゴールとします。
最後は周りを見る余裕もなくただ歩くだけになってしまいました。もう11月とはいえ、帽子や日焼け止めなどの装備はきっちりしないといけませんね。
ここで北を見ると、上宮天満宮の大きな鳥居があります。せっかくなので、寄ってみることにしましょう。北方向なので日陰を歩いて行けます😅
16:23 上宮天満宮
上宮天満宮は高台にあり、急な階段を上って参拝します。993年創建ともいわれる古社です。
丘の上に建っているので、JR高槻駅から7分ほどの好アクセスながら、広々した森🌳に囲まれてとても素敵な雰囲気です。神社の看板からも、庶民的で身近な神社という雰囲気を感じて、都会のオアシスのようです☺️
ゆったりと参拝した後、高槻駅から帰路につきました。
2日目に続きます!