新型コロナウイルス感染拡大防止のため、しばらく近所の散歩とスーパー、ドラッグストアくらいしか出歩かないようにしていましたが、運動不足解消のため、歩いて行ける範囲で人の少なそうな場所を少し散歩することにしました👣
徒歩圏内に木津川があるため、木津川沿いにしばらく歩いてみることにしました。
※人の集まるところにはいかず、周囲の人との距離を常に2m以上保ちながら歩きましょう。
今回訪れたスポットの場所をがんばって地図に書いてみました。
木津川、道頓堀川、尻無川が交わる場所
今日のスタート地点は、こちらです。
ここは、木津川、道頓堀川、尻無川の3つの川の分岐点になっている場所です。JR大正駅、阪神なんば線ドーム前駅、長堀鶴見緑地線ドーム前千代崎駅から各3~10分程度歩いた場所です。千日前通となっている大正橋から北を眺めた景色です。京セラドーム大阪などの施設が建ち並んでいるのが見えます。
正面を北から流れるのが木津川、右を東から流れるのが道頓堀川、左に西へ流れるのが尻無川です。振り返ると、南に木津川がそのまま海まで流れていきます。
水都大阪を象徴するような、水路が四方に交わる場所となっています☺️
安政大津波の碑
江戸時代の後期の1854年に南海トラフを震源とする巨大地震で大きな津波が発生し、この場所まで津波が押し寄せました😨その地震と津波の教訓を後世に伝えるために、翌1855年に建立された石碑だそうです。現代文にしたものが、以下の大阪市浪速区のページで見られます。
南海トラフ巨大地震は定期的に起きており、今もいつ起きてもおかしくない状態と言われています。この碑文の教訓を胸に刻み、備えを怠らないようにしましょう✊
この石碑は今も有志の方が毎年1回文字に墨を入れなおすなど、しっかり手入れをして守っているそうです😌私もその様子をテレビで見た記憶があります。
大正橋
冒頭の写真を撮った大正橋ですが、大正橋の説明の碑が橋の北西部分に設置されています。
この橋は、都市化が進むなか、渡し以外に川を渡る手段がなかったため、大正4年に支間長90.6m、幅員19.0mの当時日本では最も長いアーチ橋が架設され、大正時代の幕開けを告げるものであるとして、大正橋と命名された。また、大正区の名称は、この橋名にちなんでつけられたものである。
なんと、大正区という名前はこの橋から名づけられたんですね😳!初めて知りました。
以下の大阪市のページには、この橋の歴史や、昔の写真なども掲載されています。
橋の北側、ホームセンターのスーパービバホームの向いは、ちょっとした遊歩道があります。橋を振り返って撮ってみました。
道頓堀川水門
道頓堀川との合流地点には、水門が設置されています。
高潮の防御、水位の制御、閘門機能、河川浄化の機能を担っているそうです。
京セラドーム大阪
野球やコンサートなどでおなじみの、京セラドーム大阪があります。
隣にはイオンモールもあります。今はスーパー以外は閉鎖されており、人は多くはありません。
千代崎商店街
木津川沿いに北へ歩いていくと、千代崎商店街があります。スーパーや飲食店などの商店が並んでいます。
この先をまっすぐ行くと、アーケード商店街のナインモール九条があります。 人の多そうな場所への不要な外出を避けるため、今日はそちらへは行かず、このまま木津川沿いを北へ進みます👣
松島公園
北に歩いてくと、松島公園に到着しました。ここには、朝鮮通信使の碑があります。 江戸時代に友好使節として計12回来日し、時には500名を超える大規模な交流だったとか。
ちょうどツツジが見ごろを迎えていました🌼
松島公園の北側には、松島橋の碑があります。
松島橋は片側1車線の橋ですが、今はすぐ南に片側3車線の巨大な伯楽橋がかかっています。 しかし、もともとの歴史的には松島橋の方が古く、明治2年に架けられたそうです。伯楽橋は明治41年だとか。どちらも歴史がありますね☺️ (現存する橋は松島橋が昭和5年、伯楽橋は平成18年に架け替えられたものとのこと)
トコトコダンダン
その松島橋を渡ったところには、トコトコダンダンという川沿いの遊歩道があります。
この写真の右側の遊歩道がトコトコダンダンです。 地域の住民の手で維持管理され、地域のイベント等でも活用されている空間だそうです。
川口居留地の碑
さらに中央大通を超えて北へ進むと、川口居留地の碑があります。
神戸などと同じく、ペリーによって開港させられた後に治外法権の外国人居留地が設けられた場所とか。
大阪にも外国人居留地があったとは初めて知りました😳 散策していると知らないことをいろいろ発見できるのがうれしいですね☺️
当時の大阪の港は大型船舶が入れず、外国人貿易商は神戸の方によく定着したとか。 残念ながら、往時の建物は残っていないそうです😢
川口基督教会
しかし、川口居留地の碑のすぐそばに、とても素敵な建物が現存しています✨川口基督教会【登録有形文化財】です。
赤レンガ造りでとても立派な教会です🥰
川口居留地が廃止された後も残ったキリスト教関係者によって教会が設立され、現存する建物は1920年に建設されたものだそうです。
正面の入り口です。現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、閉鎖されているようです。
この教会の向かいには、レトロな雰囲気のビルがあります。
正式な名称はよくわかりませんが、ネットで調べると、「川口アパート」や「旧新大阪新聞社」と言われているものの、建物の詳細は不明🤔 以下のブログによると、1928年ごろの竣工とのことで、この情報が正しければ川口基督教会と同じくらいの時期の建物といえそうです。
大坂船手会所跡の碑
さらに北に進むと、大坂船手会所跡の碑があります。
碑によると、
大阪湾から淀川や木津川への船の出入りを管理・掌握する江戸幕府の役職を大坂船手という。元和六年(1620)から元治元年(1864)までこの地に会所があった。
とのことで、水都大阪を行き来する船を管理する江戸幕府の役所が200年以上もの長き間、ここにあったそうです。 今は碑だけが残っています。
大阪中央卸売市場
さて、端建蔵橋という橋まで来ました。ここでいよいよ木津川の旅も終わりです。木津川の始点までたどり着きました🎉 ここは中之島の西の橋で、堂島川、土佐堀川が合流して安治川になる場所です。木津川はここから分岐しています。
橋からは大阪中央卸売市場が良く見えます。
卸売市場なので一般消費者が買い物に行ったりはできませんが、市場見学会など一般の人でも中が見られる機会があります。 (今は新型コロナの影響で中止されていますが)
10円自販機
おまけで、この近くにある10円自販機を見に行きました😃大阪新名所を自称しています。 何が出てくるかはわかりませんが、10円でジュースが買えます。運試し的な要素もありますね。
まとめ
大正橋からここまで木津川沿いにおよそ3km弱。 家への帰りも電車を使わず、人の少ない道を徒歩で帰宅しました。 皆様も感染拡大防止に注意して過ごしましょう😌