みかんの楽しい日記帳

日常の楽しい出来事や旅の記録を書き留めていきます

【2016年】神戸・舞子の海辺散策 明石海峡大橋・孫文記念館・五色塚古墳

新型コロナウイルス感染防止のため新たな観光は自粛🙅‍♀️し、この機会に過去に訪問して記事にしていない場所を振り返りましょう。

今回は2016年4月16日に、神戸・舞子の海辺を散歩した写真を見ながら振り返ります。

※2020/5/18現在は新型コロナウイルス感染防止のため、ここで紹介した多くの施設が閉鎖されています。感染拡大防止を心がけながら再開を待ちましょう。

明石海峡大橋

今日のスタート地点はJR神戸線 舞子駅です。舞子駅のすぐ横に明石海峡大橋があります。 駅すぐの高速道路には淡路島、徳島方面へ向かう高速バスのバス停があり、頻繁にバスが発着します。

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駅南の広場から淡路島方面を撮った写真です。明石海峡大橋と対岸の淡路島がよく見えます👀

ここ明石海峡は大阪湾と瀬戸内海を行き来する船🚢の通り道で、大きい船から小さい船まで多くの船が行き交う海上交通の要衝でもあります。

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振り返って内陸側です。明石海峡大橋の本州側の端があり、高速道路が伸びています。こういう巨大構造物を見ると圧倒されますね😮

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海辺は兵庫県立舞子公園になっており、遊歩道や芝生広場などが整備されています。 この舞子公園は歴史ある公園で、廃藩置県兵庫県が設置れた後、初めての兵庫県立公園として1900年に舞子公園がオープン🎊しました。

hyogo-maikopark.jp

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写真右の海沿いに建つモダンな建物は橋の科学館で、明石海峡大橋の建設🏗の記録、技術開発などについて模型や映像も含めて展示してあります。多くの人の努力の足跡を見ることができます。

私は土木建築は疎いのですが、技術者の1人でもあるので、こういう展示は大好きです。努力の跡がこうやって残っていくのは嬉しいだろうなと思いました☺️

橋のプロムナード

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その明石海峡大橋ですが、実は橋を歩ける👣ことはご存じでしょうか?といっても、橋は自動車専用道路なので、歩けるのは道路の下の部分です。 道路の下にはメンテナンス用の通路が設置されており、一部分だけ観光用に橋のプロムナードという遊歩道✨になっています。

写真の右の灰色の巨大コンクリート構造物、これは明石海峡大橋の端にあたりますが、中にエレベーターがあって展望台に上れます。 展望台から明石海峡大橋に出られます。

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こういう通路が続いています…といいたいところですが、これはメンテナンス用の通路で、一般人は歩けません。 遊歩道の端から撮影しました。遊歩道は上まで金網でがっちりガードされており、落ちたりする心配はありません😊 とはいえ、下を見るとそこは海🌊。橋を歩いている実感が味わえます。

遊歩道部分の写真を撮っていなかったので、興味のある方は以下のサイトなどで写真をご覧ください。

travel-noted.jp

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展望台からは舞子公園も一望👀できます。中央の建物が後ほど訪問する孫文記念館、左奥の建物が武藤山治です。

孫文記念館

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こちらが孫文記念館です。元々は神戸で活躍していた中国人実業家の別荘だったそうです。

手前の洋館のような建物は1890年代に建てられ、奥のエメラルドグリーンの八角形の建物、移情閣重要文化財】が1915年に建てらました。

大きな窓の洋館、エメラルドグリーンの中国式の楼閣、どちらもとても美しい建物ですね🥰

孫文は中国、台湾などでは孫中山と呼ばれ、歴史上の偉人の1人です。中国や台湾にはよく中山公園や中山路という道があったりしますが、この孫文にあやかった名前です。

孫文は日本との関わりも深いですが、神戸にも訪れており、1913年にこの建物を訪れたそうです。公式サイトの説明を引用します。

 この記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山、又は逸仙、英文名はSun Yat-sen、1866~1925)を顕彰する日本で唯一の施設で、1984(昭和59)年11月に開設された。  この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855~1926)の別荘「松海別荘」を前身としている。1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきた。  孫文と「松海別荘」(移情閣)の関わりは、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。その後、1983(昭和58)年11月、兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ、改修を行った。

sonbun.or.jp

孫文はその後も神戸を訪問し、1924年には現在の兵庫県立神戸高校の前身の1つである旧制神戸高等女学校の講堂で、有名なアジア主義講演を行いました。

ja.wikipedia.org

実は私はその神戸高校の出身なので、孫文とのゆかりについてよく聞かされた覚えがあります。とはいえ当時は歴史上の偉人の1人という感じであまり関心がありませんでした😅しかし、エンジニアになって中国や台湾に出張に行くようになり、孫文がとても崇められていることを知り、出身高校にゆかりが深いのはすごいことだなと思うようになりました😌

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八角形の移情閣ですが、中もとても素敵です。高貴な空間が広がっています。

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2階へ上る階段もとても美しくて写真を撮りました。エメラルドグリーンの壁の模様と、深い木の色がとても美しい空間を作り出しています☺️

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洋館部分の大きな窓からは明石海峡が一望できます。

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明石海峡大橋を背景に写真を撮りました。こう見ると確かに六角形に見えますね😆

武藤山治

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続いて同じく舞子公園内にある、武藤山治登録有形文化財】です。1907年の建物とのこと。 こちらも美しい建物です。ちょっとかわいい雰囲気もありますね😊

中も美しい調度品があったりして素敵な雰囲気のはずなのですが、私が訪問した日はたしか何らかの理由(忘れました)で非公開になっていたと思われ、中には入っていません。

武藤山治カネボウの社長として繊維事業を大きく育てたり、衆議院議員として活躍した人物だそうです。 カネボウは2000年代に入って経営破綻で消滅していまいましたが、クラシエや、カネボウ化粧品花王の子会社)などとして再出発しています。

アジュール舞子

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さらに東へ歩くと、海水浴場で有名なアジュール舞子があります。きれいな砂浜🏖が青い海、青い空に映えて、いい雰囲気です。

五色塚古墳

アジュール舞子から北上し、住宅街を抜けていくと、美しく復元された前方後円墳五色塚古墳があります。

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goshikiduka.org

五色塚古墳兵庫県にある古墳で最大のもので、全長194mの前方後円墳です。 4世紀末~5世紀初め頃に作られ、おそらくこの辺りを治めていた豪族のお墓と考えられています。 戦後に復元整備事業が行われ、古墳が作られた頃の姿に復元されています。

これだけの大きさの古墳で、往時の姿に復元されているものは珍しいのではないでしょうか🤔

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古墳に上ることができます。両側に黄色い壺のようなものが並んでいますが、復元された円筒型の埴輪(はにわ)です。

この古墳から出土した埴輪を元に往時の姿を再現しています。出土した本物の円筒埴輪は重要文化財に指定されています。

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古墳の頂上からは明石海峡大橋が一望👀できます。古墳の周りの建物は違いますが、5世紀初めの人々もここから同じ景色を見ていたのかもしれませんね😁

※この記事は2016年に訪問した記録の振り返りです。2020/5/18現在は新型コロナウイルス感染防止のため、ここで紹介した多くの施設が閉鎖されています。感染拡大防止を心がけながら再開を待ちましょう。