みかんの楽しい日記帳

日常の楽しい出来事や旅の記録を書き留めていきます

大阪散策 木津川沿いを歩く2―南海汐見橋線 木津川駅・落合上渡船場・浪速神社

前回は木津川の西側(右岸)を歩いてきて国道43号線 木津川大橋を渡り、木津川の東側(左岸)まで来ました。その続きの記事です。

前回の記事はこちら。

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南海汐見橋線 木津川駅

木津川大橋を降りると、すぐ北に南海汐見橋線 木津川駅が見えます。駅舎に行くには細い道を踏切を超えていく必要がありますが、看板などがないので気づかないほどです。秘境駅と言われているだけのことはあります😌

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こちらが木津川駅の駅舎です。駅前広場?が砂利道で舗装すらされていないのが有名です。大阪の中にあって、ひっそりとした雰囲気なのが珍しいので密かに人気があります。1日平均乗降人数は100人少々南海電鉄の駅の中でも、高野線の山間部の駅に並んで乗降客数の少ない駅です。

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駅舎とホームは、構内踏切で行き来します。構内踏切があると、のどかな田舎の駅という雰囲気がしますね☺️ 大阪市内でこのような雰囲気が味わえる駅は貴重です。私もこの雰囲気が好きで、これまでも何度か訪れたことがあります🥰

木津川駅の構内は広く、今は使われていない線路もあります。昔は和歌山の橋本駅から吉野杉🌲などの材木をここまで運び、木津川の渡し船に乗せ換えて近隣の貯木場や工場などに輸送しており、貨物列車が行き交う活気ある駅だったそうです。その後産業構造、輸送の変化により、今は南海電鉄は貨物列車はありません。

www.nankai.co.jp

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木津川水門

木津川駅から南下すると、木津川水門という巨大な水門があります。

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津波や台風の高潮を巨大な水門で防ぎ、上流域が浸水するのを防いでくれます。 昔は大型船も良く通行していたことから、船が通れるようアーチ形の水門になっています。 一般には板が下りてきて川をせき止めるタイプの水門が多く、アーチ形の水門があるのは日本国内に大阪市内の3か所だけだそうです。

www.pref.osaka.lg.jp

2018年に大きな被害をもたらした台風21号の際も水門が閉じられ、高潮から大阪の街を守ってくれました😌

この珍しいアーチ型の水門ですが、今後20年程度で姿を消してしまうそうです。 南海トラフ地震で大津波が発生すると構造的に水門が破損する可能性があることや、地震で電源が失われると機能しないことが理由です。 今後20年ほどをかけて、扉が上から降りてくる形の水門に更新されます。

以下のページに水門が動く様子や、2018年台風21号の高潮からに大阪の街を守っている様子が紹介されています。興味深かったです😋

www.mbs.jp

落合上渡船場

さらに南へ進むと、落合上渡船場があります。先ほどまで2か所、渡し船の顕彰碑を見てきましたが、ここは現役の渡し船✨があります。

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このように、川を挟んで向かい合う形で乗降場が設けられており、渡し船が行き来しています。 道路の代わりということで、大阪市によって無料で運航されています。

大阪市内にはここを含め現役の渡し船が8か所あります。 乗降場や時刻表などは大阪市のページから見られます。ここは日中は15分間隔、通勤時間帯は10分間隔での運航です。

www.city.osaka.lg.jp

橋を架けると建設費や維持費が膨大にかかるので、船で結んだほうが効率がいい場合もありますもんね。 ここ落合上渡船も、先ほど渡った国道43号線 木津川大橋から500mくらい離れており、他に近い橋もありません。 歩行者や自転車にとって、対岸に渡る重要な交通になっています。

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落合上渡船場からは、先ほどの木津川水門が良く見えます。木津川水門の左に分岐する川が旧三軒家川で、三軒家水門が見えます。 こちらは、板が上から降りてくる形の水門です。

この辺りは海も近いので堤防が高く、川沿いを歩いていても川がほとんど見えません🙅‍♀️ ここも含め付近の多くの渡船場は、階段を上り下りして堤防を越える形になっており、堤防の上から川が見渡せます。

南海汐見橋線 津守駅

南東に進むと、大阪府立西成高校のすぐ前に、南海汐見橋線津守駅があります。

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小さくシンプルな駅舎です。近くに高校や商店街もあり、南海汐見橋線の中では乗降客数が多い駅です。 とはいえ、1日乗降客数は1000人に満たないです。

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ちょうど電車がやってきました。この駅にも構内踏切があります。

ここから折り返して北へ歩いていきます👣

浪速神社

私もたまに買い物をするディスカウントスーパー ラ・ムー国道43号線を越えて北へ歩くと、浪速神社があります。 本町の坐間神社の境外摂社で、坐間神社と同じ神様や、猿田彦大神を祀っているそうです。

www.city.osaka.lg.jp

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こちらが浪速神社の鳥居⛩です。のぼりがたくさん奉納されています。

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浪速神社の拝殿です。境内は広く一部が公園(広場)になっており、土俵もありました。毎年7月に夏祭りが行われるようです。

琴江橋跡の碑

さらに北へ進むと、琴絵橋跡の碑があります。

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ここには1970年頃まで、木津川と大和側を結ぶ十三間堀川という川がありました。 モータリゼーションの進展により川は埋め立てられ、1970年に阪神高速15号堺線が開通しました。 大阪市立図書館のページに詳しい説明があります。

www.oml.city.osaka.lg.jp

現在西成区内を通過する阪神高速堺線は、昭和45(1970)年に十三間堀川(十三間川とも呼ばれます)を埋め立てて建設されています1。現在の津守地域(旧津守村)は、江戸時代に海を埋め立てた津守新田として拓かれた土地です。その津守新田の開発開始と同じ元禄11(1698)年に、津守新田の北端を流れる木津川から、用水路として津守新田の東側を南へ向けて新たに開削されたのが十三間堀川でした。最初は中在家村(粉浜村)までの開削でしたが、その後宝永元(1704)年の大和川付替工事に伴い大和川にまでつながることとなりました。そしてこの結果川の流れが変わり、大和川から北へ流れ木津川へと合流する流れとなりました。治水工事で有名な河村瑞軒の設計による運河だという説も伝わっていますが、開削当時の検地帳により津守新田の地主の費用で開削されたものであることが確認されています2。

この碑の向かいには、南海汐見橋線が走っていますが、川もないのに一部が鉄橋になっています😆昔ここに川があった名残ですね。 うっかり写真を取り損ねたので、写真を上げておられるブログのリンクを貼っておきます。 昔の地図🗺付きで解説されており、わかりやすいです。

728net.wpblog.jp

南海汐見橋線 芦原橋

さらに北へ進むと、南海汐見橋線 芦原橋です。終点の汐見橋駅まであと1駅です。

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芦原橋駅も構内踏切があります。隣駅の木津川駅と違って、周囲はマンションや住宅が立ち並ぶ風景です。

今回の旅はここまでとし、私の家までもうひと歩きしました🚶🏻 ゴールデンウィーク中はどこにも出かけずに過ごしてきたため、いい運動になりました。 皆さまも感染拡大を防ぎつつ、周囲の人と距離を取ってウォーキングやジョギングをしましょう。