みかんの楽しい日記帳

日常の楽しい出来事や旅の記録を書き留めていきます

コスモス寺・般若寺と奈良きたまち、奈良公園の紅葉散策

奈良きたまち

近鉄奈良駅の北側、平城山の丘陵までのエリアのことをを奈良きたまちと言うそうです。江戸時代の奈良街道(京街道)が走るほか、旧奈良監獄などの近代建築も残る街となっていて散策にピッタリです。

www.kitamachi.info

興福寺や東大寺大仏殿の辺りは観光客がたくさん集まっていますが、この辺りはさすがに観光客は少なく、ゆったりと散策できるので安心です。 できる限り人と2mの距離をとりつつ散策しました。

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©みかんの楽しい日記帳 | ©OpenStreetMap contributors

鴻ノ池運動公園にあるスターバックスをスタートとしました。 池のほとりにあり、景色の美しいスターバックスとして人気があります。

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近鉄奈良駅からここまでバスで来られますし、ゆっくり歩いて30分くらいです。

聖武天皇陵

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南へ歩いて行くと、奈良時代の聖武天皇の陵があります。 法蓮北畑古墳という古墳です。平城京の北側、佐保川のほとりのこの地に陵墓が築かれました。 佐保川から拝所まで、美しく整備された参道が伸びています。

聖武天皇は数多くの業績を残されていますが、東大寺の大仏を建立したことや、墾田永年私財法の制定が特に有名ですね。 また、正倉院には聖武天皇ゆかりの品が数多く残されています。

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東側に隣り合うように、聖武天皇の皇后、光明皇后の陵があります。 聖武天皇に国分寺の創建を勧めたと言われるほか、孤児や病人のための施設、悲田院や施薬院を整備したりといった業績で有名です。

旧奈良監獄

聖武天皇陵から住宅街の細い道を北東へ進んでいくと…

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なにやら、煉瓦作りの高い塀が続いています。その外側にはフェンスもあり厳重です。

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厳重なのもそのはず、ここは旧奈良監獄です。脱走できないようになっているんですね。 旧奈良監獄は、明治時代に司法の近代化を目指して1908年に完成しました。

former-nara-prison.com

最近は2017年まで奈良少年刑務所として使われていましたが移転して閉鎖しました。 跡地は貴重な建物を残してホテルに改修される予定です。

この写真は表門【重要文化財】です。

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中には入れませんが、門から中の様子が見えます。こちらの写真が中央監視所【重要文化財】です。 この周囲に放射線状に5つの収容棟【重要文化財】が伸びています。

監視所から収容棟の全体が見渡せる、典型的な監獄建築といえるでしょう。 旧奈良監獄の主要な建物は、奈良少年刑務所の廃止後に重要文化財に指定されています。

植村牧場

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旧奈良監獄から北東へ般若寺へ向かって歩みを進めます。 般若寺の裏手に出てきました。鎌倉時代に作られた楼門【国宝】がそびえています。 しかし、般若寺の現在の入り口はここではなく、反対側に回る必要があります。

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その楼門の向かいに、なにやら牧場があります。植村牧場という、観光用を兼ねた牧場です。

www.uemura-bokujyo.co.jp

Webページを見ると意外に歴史は古く1883年創業で、奈良県内では一番古い牧場だとか。 レストランを併設しているほか、売店でソフトクリームも買える、気軽に立ち寄れる牧場となっています。

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売店でソフトクリームを買い、食べながら牛舎の様子を見に行ってみました。 左側の建物が牛舎で、牛がたくさんいました。柵の外にも、羊や山羊がのんびりしていますね。

ソフトクリームもおいしく食べて休憩し、般若寺へと向かいます。

般若寺

般若寺は寺伝では飛鳥時代の創建とされる古寺だそうで、境内からは奈良時代の瓦も出土していることから少なくとも奈良時代には存在したとみられるとのこと。

www.hannyaji.com

コスモス寺として知られていて、秋には境内にいっぱいのコスモスが咲き乱れる、美しい花のお寺でもあります。

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こちらが先ほど裏手から見た楼門【国宝】です。鎌倉時代に建立されたものだそうです。

般若寺の正式な門は南大門だったそうですが戦国時代に焼けて失われてしまいました。 しかし奈良街道(京街道)に面するこの楼門は守られて、現代に伝えられています。貴重なものですね。

今に伝わる貴重な楼門をたくさんのコスモスが彩っています。

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こちらが本堂です。戦国時代に旧金堂が失われ、江戸時代の1667年に再建したものです。

中には本尊の文殊菩薩像【重要文化財】をはじめ、いくつもの貴重な仏像が安置されています。

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本堂の前では、水にお花を浮かべてハートマークが描かれていて、心が温まりました。

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こちらは十三重石宝塔【重要文化財】です。鎌倉時代の1253年に建てられました。

宋から来日した石工の伊行末とその息子伊行吉の手で創建されたとか。伊行末は、源平合戦での平重衡の南都焼き討ちで焼け落ちた東大寺の復興にも力を注ぎました。

1964年に解体修理された際に塔の中から多数の宝物が発見され、聖武天皇ゆかり仏像も見つかったそうで、秘仏特別公開期間にあわせて公開されています。

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一切経蔵【重要文化財】です。こちらも鎌倉時代の建立です。

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笠塔婆【重要文化財】です。

十三重石宝塔を創建した伊行末の1周忌にあたる1261年に、息子の伊行吉が建立しました。 伊行末の業績も刻まれており、史料としても貴重なものだそうです。

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もう秋も終わりでコスモスには遅いかと思いましたが、まだ元気に咲き乱れていました。 ギリギリ間に合って良かったです。

貴重な文化財を今に残す、美しいお花のお寺を後にして、奈良公園の方へと向かいます。

奈良公園北側

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奈良公園の方へ向かって進んでいると、東大寺大仏殿【国宝】が見えました。 高さが約47mもあるので、遠くからでもよく見えます。

北山十八間戸

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般若寺から歩いて10分ほどで、北山十八間戸という建物に着きます。国の史跡に指定されています。 ここは古くはハンセン病などの病人を保護する福祉施設として使用されていました。 長さ38mにわたる長細い建物で、18室あります。

創建について確実なことはわかっていないものの、鎌倉時代に西大寺の忍性という僧により般若寺の北東に建てられたといわれています。 戦国時代に焼けてしまい、現存する建物は江戸時代に移転・再建されたものです。

www.library.pref.nara.jp

五劫院

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北山十八間戸から南東へ歩き佐保川を越えると、五劫院というお寺があります。 こちらには、五劫思惟阿弥陀仏坐像【重要文化財】が安置されています。

五劫とは、5回宇宙が誕生し消滅する位の気の遠くなるような長い時間を表しています。 五劫もの長きにわたり思惟(しゆい)、つまりひたすら人々を救う方法を考え続けてくれている、ありがたい仏様の象です。

あまりに長い時間考え続けているので髪が伸び、アフロヘアーのような髪型になっており、アフロ仏としても知られています。 京都の金戒光明寺のものなども有名ですね。

五劫院は通常は拝観は予約が必要なのですが、毎年8月の一時期に特別開帳され、予約不要で拝観できます。

私は予約していないので拝観はできず、次へと進みました。

旧細田家住宅

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五劫院のすぐ近くに旧細田家住宅があります。 小さな農家住宅ですが、17世紀末~18世紀初め頃の建築とみられ、現存する奈良県内の農家住宅としては最古級の貴重なものです。

www.city.nara.lg.jp

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東大寺

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旧細田家住宅から南へ進んでいくと、徐々に奈良公園のエリアに入ってきます。 般若寺を出てからここまで、ほとんど観光客の姿を見ませんでしたが、ポツポツと観光客らしき人の姿が見えてきます。 とはいえ、大仏殿の辺りのように人が多くはありません。

転害門

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東大寺 大仏殿の北西にある東大寺 転害門【国宝】です。

奈良時代に建てられた門がそのまま残っています。 東大寺は何度も戦火や火事に見舞われており、奈良時代から残る建物はほとんどないので大変貴重なものです。

去年の記事でもここを訪れています。

diary.mikan-tech.net

大仏池

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転害門から南東へ進むと大仏池という池があります。

大仏殿の南側にある鏡池もそうですが、大仏殿が水面に映り、美しい風景を見せてくれます。 鏡池と同じく、紅葉も水面に映え、今の季節ならではの風景も楽しめます。

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鹿が水を飲みにやってきていました。

正倉院

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奈良時代の貴重な宝物を今に伝える、正倉院です。右の建物が正倉【国宝】で、校倉造りの高床式倉庫です。 横幅が約33.1m、奥行きは約9.3mあります。

長年、貴重な宝物が保管されてきましたが、現在は正倉の東西に頑丈で管理が行き届いた鉄筋コンクリートの倉庫が建てられ、そこに宝物が納められています。

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正倉院から東へ進むと、いちょうの葉が落ちて黄色の絨毯のようになった、美しい景色が見られました。

大湯屋

東大寺 二月堂の方へ向かって進んでいきます。

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こちらは東大寺のお坊さんのお風呂場である大湯屋【重要文化財】です。

もとは奈良時代からあったようですが、平重衡の南都焼き討ちで失われ、現存するものは鎌倉時代の1239年の再建です。 中には鎌倉時代から伝わる、鉄でできた鉄湯船【重要文化財】があります。

www.nara-np.co.jp

通常は内部は非公開となっていますが、2017年に一度だけ内部が公開され、鉄湯船も見ることができたそうです。

鐘楼

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こちらは鐘楼【国宝】です。吊されている梵鐘(お寺の鐘(かね))も国宝です。日本3大梵鐘の1つとも言われます。

鐘は初代大仏と同年752年に造られたものが幾度かの修理を経て現存しています。 鐘楼は南都焼き討ちで焼けてしまい、鎌倉時代に再建されたものです。

鐘の高さは3.86m、口径2.71m、重量26.3tもあります。4.5mもある鐘木でついて鳴らします。 とても大きいので、除夜の鐘の時は8人で綱を引いて鳴らします。108回鳴らすので、108✕8=864人が鐘をつける計算になりますね。 毎年、一般参列者が先着順で鳴らします。

二月堂

そうこうしているうちに、二月堂までやってきました。 ここまでは観光客の姿はまばらでしたが、二月堂はさすがに観光客でいっぱいです。

私は去年も来たので、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、周囲とできるだけ距離を取りつつ、足早に見て回りました。

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こちらが二月堂【国宝】です。お水取り(修二会)が行われる場所としても有名です。

元々奈良時代からあったものの、現存する建物は江戸時代の1669年の再建です。十一面観音が本尊として祭られています。

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高台にあるので、奈良市街と生駒山の風景がよく見えます。 夜にもここまで上ることができ、美しい夜景が見渡せます。

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紅葉が美しいですね。

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夕焼けに染まる手水舎?です。

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美しい石畳の裏参道です。

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二月堂の周囲には貴重な建物がいくつも残っています。こちらは閼伽井屋(あかいや)【重要文化財】です。 中に井戸があり、それを守るための建物となっています。ここはお水取りの儀式の中でたいへん重要な場所で、極めて神聖な井戸です。

法華堂(三月堂)

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二月堂の隣にある法華堂【国宝】です。三月堂とも呼ばれます。 奈良時代の建物が現存しており、東大寺に残る仏堂としては唯一奈良時代から残る建物となっています。

上の写真の左側が奈良時代から残る部分で、右側は鎌倉時代に増築された部分となっています。

不空羂索観音立像【国宝】を本尊として祭り、他にも梵天・帝釈天立像【国宝】など数多くの貴重な仏像が安置されています。

今回は拝観せず、またの機会にしました。

この後、人との距離を意識しながら近鉄奈良駅方面へと歩みを進め、大阪までの帰路につきました。